仰げば尊し わが師の恩【恩師に捧ぐ歌】
あなたの心の中に、恩師と呼べる人はいますか
社会に出るまでの、学校教育を通して。
これまで、多くの先生方にお世話になってきた。
お一人お一人から大きな刺激を受け、導いていただいた。
だが、わたしにとって「恩師」と呼べるのはお二人だけ。
人生を変えるほどの影響力を持ち、目には見えない財産を与えてくれた先生たち。
一人は、わたしが将来英語で食べていけるだけの力をつけさせてくれた、中学時代の先生。
今回の記事では、もうお一方。
小学五年生から六年生までの二年間、担任だったY先生についてお話したいと思う。
よっちゃん先生の教育方法
Y先生は、生徒から「よっちゃん」というあだ名で親しまれていた。
ハンサムなのに飾り気がなく、快活でいつも大きな声で笑っていた。
子どもたちと一緒に本気でドッジボールもしたし、優しくユーモア溢れる人柄に、心からの信頼を寄せられていた。
誰かが悪い行いをしたときには、それ以外の子供たちにも内省させるような指導をした。
どんなときも、自分はひとりじゃない。
つねにそう思わせてくれる先生だった。
わたしは当時十一歳。
先生は、ずいぶんと大人に見えた。
だけど先生にお子さんが生まれたとき、クラスメイトたちと会いに行った記憶があるので、まだ二十代だったかもしれない。
恩師のことを「よっちゃん」などと呼ぶのは失礼にあたるが、できるだけ当時の雰囲気をそのままお伝えしたいので、あえてこの呼び名で呼ばせていただくことにする。
歌を通して生き方を教える
ギターがトレードマークの、よっちゃん先生。
教室にはいつも、ギターの音色が鳴り響いていた。
先生の周りで思いっきり歌を歌うのが、なによりの幸せだった。
音楽の時間に限らず、ホームルームや放課後、たくさん歌を教えてくれた。
黒板に歌詞を書いて、一小節ずつ。
わたしたちが覚えるまで、何度も繰りかえしていねいに。
それは愛唱歌だけでなく、フォークソングだったり、ときに流行歌だったり。
「この年代の子供だからこれ」という、お仕着せの選曲ではなかった。
みんなで力を合わせて何かを成しとげる歌。
長くお付き合いしてきた恋人と別れる歌。
親代わりとなって生きてきた兄が、たったひとりの妹を嫁に出す歌。
お母さんを想う歌が多いなか、父親だけにフォーカスし讃える歌。
公害に苦しむ地域に住む人々の心をキツネさんが代弁した歌。
そのジャンルの幅広さが、そのまま視野の広さを培うのに役立ったと思う。
なかには「二十二歳の別れ」なんて曲も含まれていた。
まだその半分しか生きていないわたしに、歌の意味するところは理解できなかったが、気づくと倍ほどの年齢になり、二十二歳のころを懐かしく思っているのだから、人の一生なんてあっという間だ。
よっちゃんは、子どもたちがこれから経験するであろう未来のかけらを、歌を通して予習させたかったのかもしれない。
いまでも折にふれ、あのころの歌が口をついて出てくる。
歌詞の内容に、メロディに、背中を押されてその後の人生を歩んできた。
わたしの心のなかには、いつも歌とギターがある。
その横で、ごきげんにギターをかき鳴らす、よっちゃんの姿も。
児童と一対一で向き合う
歌ばかりでなく、人としての在り方についてもしっかりと学んだ。
いま思えば啓蒙のシャワーとも呼ぶべき尊い思想や理念を、毎日のように浴びさせられた。
それこそ歌の文句じゃないけれど、自分なりの花を咲かせられるように。
十代の初めは、子どもがいちばん難しい時期。
下手をすれば、芽が出てこなかったり、変な方向に曲がってしまったり、枯れてしまうかもしれない。
よっちゃんは、それぞれに合った場所や肥料を与え、生命力を信じ、手塩にかけてわたしたちを育ててくれた。
実例のひとつとして、一対一の交換日記がある。
それは希望制で何ら強要されるものではないが、ほとんどの生徒が楽しみに行っていた。
宿題や提出物ではないから、決まりごともないし、何を書いても良かった。
わたしは得意なイラストをいっぱい描いて、よっちゃんから褒められるのが好きだった。
いつも踊るような文字で埋めつくされたノートだったが、ときに暗い色のページもあった。
よっちゃんは、どのページも見逃さず、細かいコメントを書いて返却してくれた。
内容については誰にも話さない約束だったので、友達とうまくいっていないこと、家族のこと、他の人には言えないようなことも書いていた気がする。
ノートは二年間で数冊に及んだ。
よっちゃんがいつも使っていた赤いペンの筆運びも、筆圧の具合も、はっきりと思い出せる。
十把一絡げではなく、自分だけをみていてくれる感覚が嬉しかった。
共感してもらえている。
認めてもらえている。
それらの事実が人を動かす力となることを、このときに体得した。
教師としても人間としても、本当に素晴らしい先生から、思春期に影響を受けて。
一時期は、教師を志した時代もある。
大学では英文科を専攻し、英語の教員免許も取得した。
教育実習中は、教えるという仕事のやりがいと面白さを知った。
結局は違う道、客室乗務員というサービス業を選んだが、先生の教えは脈々と息づいていて、自分の息子への教育方針の基盤ともなっている。
大人になったわたしから先生へ
わたしは先生のように、たくさんの教え子を世に送ることはできなかったけれど。
人を愛し、子をもうけ。
家庭という社会のいちばん小さな区画で、世界にふたつとない大事な芽を育てています。
ときに愛情という水を与えすぎたり、与えるのを忘れてしまったり。
まったくもって模範的な親ではないですが、いまのところ良い関係性が築けています。
花が咲くかどうかは、わからないけど。
見守る力を信じて、がんばります。
卒業シーズン、恩師に感謝を
だれもが学生時代をふりかえる季節。
淡い記憶の中、あなたを導き、そっと支えてくれた人がいる。
この春は、お世話になった大切な恩師に思いを馳せてみませんか?
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