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仰げば尊し わが師の恩【恩師に捧ぐ歌】

仰げば尊し わが師の恩【恩師に捧ぐ歌】

 

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あなたの心の中に、恩師と呼べる人はいますか

 

社会に出るまでの、学校教育を通して。

これまで、多くの先生方にお世話になってきた。

 

お一人お一人から大きな刺激を受け、導いていただいた。

だが、わたしにとって「恩師」と呼べるのはお二人だけ。

 

人生を変えるほどの影響力を持ち、目には見えない財産を与えてくれた先生たち。

 

一人は、わたしが将来英語で食べていけるだけの力をつけさせてくれた、中学時代の先生。

 

www.ciel114.com

 

今回の記事では、もうお一方。

小学五年生から六年生までの二年間、担任だったY先生についてお話したいと思う。

 

 

よっちゃん先生の教育方法

 

Y先生は、生徒から「よっちゃん」というあだ名で親しまれていた。

 

ハンサムなのに飾り気がなく、快活でいつも大きな声で笑っていた。

 

子どもたちと一緒に本気でドッジボールもしたし、優しくユーモア溢れる人柄に、心からの信頼を寄せられていた。

 

誰かが悪い行いをしたときには、それ以外の子供たちにも内省させるような指導をした。

 

どんなときも、自分はひとりじゃない。

つねにそう思わせてくれる先生だった。

 

わたしは当時十一歳。

先生は、ずいぶんと大人に見えた。

 

だけど先生にお子さんが生まれたとき、クラスメイトたちと会いに行った記憶があるので、まだ二十代だったかもしれない。

 

恩師のことを「よっちゃん」などと呼ぶのは失礼にあたるが、できるだけ当時の雰囲気をそのままお伝えしたいので、あえてこの呼び名で呼ばせていただくことにする。

 

 

歌を通して生き方を教える

 

ギターがトレードマークの、よっちゃん先生。

 

教室にはいつも、ギターの音色が鳴り響いていた。

先生の周りで思いっきり歌を歌うのが、なによりの幸せだった。

 

音楽の時間に限らず、ホームルームや放課後、たくさん歌を教えてくれた。

黒板に歌詞を書いて、一小節ずつ。

わたしたちが覚えるまで、何度も繰りかえしていねいに。

 

それは愛唱歌だけでなく、フォークソングだったり、ときに流行歌だったり。

「この年代の子供だからこれ」という、お仕着せの選曲ではなかった。

 

みんなで力を合わせて何かを成しとげる歌。

長くお付き合いしてきた恋人と別れる歌。

親代わりとなって生きてきた兄が、たったひとりの妹を嫁に出す歌。

お母さんを想う歌が多いなか、父親だけにフォーカスし讃える歌。

公害に苦しむ地域に住む人々の心をキツネさんが代弁した歌。

 

そのジャンルの幅広さが、そのまま視野の広さを培うのに役立ったと思う。

 

なかには「二十二歳の別れ」なんて曲も含まれていた。

まだその半分しか生きていないわたしに、歌の意味するところは理解できなかったが、気づくと倍ほどの年齢になり、二十二歳のころを懐かしく思っているのだから、人の一生なんてあっという間だ。

 

よっちゃんは、子どもたちがこれから経験するであろう未来のかけらを、歌を通して予習させたかったのかもしれない。

 

いまでも折にふれ、あのころの歌が口をついて出てくる。

歌詞の内容に、メロディに、背中を押されてその後の人生を歩んできた。

 

わたしの心のなかには、いつも歌とギターがある。

その横で、ごきげんにギターをかき鳴らす、よっちゃんの姿も。

 

 

児童と一対一で向き合う

 

歌ばかりでなく、人としての在り方についてもしっかりと学んだ。 

 

いま思えば啓蒙のシャワーとも呼ぶべき尊い思想や理念を、毎日のように浴びさせられた。 

それこそ歌の文句じゃないけれど、自分なりの花を咲かせられるように。

 

十代の初めは、子どもがいちばん難しい時期。

下手をすれば、芽が出てこなかったり、変な方向に曲がってしまったり、枯れてしまうかもしれない。 

 

よっちゃんは、それぞれに合った場所や肥料を与え、生命力を信じ、手塩にかけてわたしたちを育ててくれた。

 

実例のひとつとして、一対一の交換日記がある。 

 

それは希望制で何ら強要されるものではないが、ほとんどの生徒が楽しみに行っていた。 

宿題や提出物ではないから、決まりごともないし、何を書いても良かった。

 

わたしは得意なイラストをいっぱい描いて、よっちゃんから褒められるのが好きだった。 

いつも踊るような文字で埋めつくされたノートだったが、ときに暗い色のページもあった。 

 

よっちゃんは、どのページも見逃さず、細かいコメントを書いて返却してくれた。 

内容については誰にも話さない約束だったので、友達とうまくいっていないこと、家族のこと、他の人には言えないようなことも書いていた気がする。 

 

ノートは二年間で数冊に及んだ。 

よっちゃんがいつも使っていた赤いペンの筆運びも、筆圧の具合も、はっきりと思い出せる。

 

十把一絡げではなく、自分だけをみていてくれる感覚が嬉しかった。 

 

共感してもらえている。

認めてもらえている。

 

それらの事実が人を動かす力となることを、このときに体得した。

 

教師としても人間としても、本当に素晴らしい先生から、思春期に影響を受けて。

一時期は、教師を志した時代もある。 

 

大学では英文科を専攻し、英語の教員免許も取得した。

教育実習中は、教えるという仕事のやりがいと面白さを知った。

 

結局は違う道、客室乗務員というサービス業を選んだが、先生の教えは脈々と息づいていて、自分の息子への教育方針の基盤ともなっている。

 

 

大人になったわたしから先生へ

 

わたしは先生のように、たくさんの教え子を世に送ることはできなかったけれど。

人を愛し、子をもうけ。

家庭という社会のいちばん小さな区画で、世界にふたつとない大事な芽を育てています。 

ときに愛情という水を与えすぎたり、与えるのを忘れてしまったり。

まったくもって模範的な親ではないですが、いまのところ良い関係性が築けています。

花が咲くかどうかは、わからないけど。

見守る力を信じて、がんばります。

 

卒業シーズン、恩師に感謝を

 

だれもが学生時代をふりかえる季節。

淡い記憶の中、あなたを導き、そっと支えてくれた人がいる。 

この春は、お世話になった大切な恩師に思いを馳せてみませんか?

 

  

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