【もしも英語が使えたら】宝塚音楽学校の先生になりたい
もしも願いが叶うなら。
わたしは、宝塚音楽学校の英語の先生になりたい。
「夢物語はよせ!」というルキーニの声が聞こえてきそうだが。
ここは「もしも」について書く場所だから。
大きな夢について、語ってみたいと思う。
宝塚音楽学校では、こんな授業がしたい
まずは「もしも」にちなんで、ifという単語を例にとってみよう。
ミュージカル『エリザベート』に出てくる「もしも」「なら」「たら」「れば」
- 鳥のように自由に空を駆け、永遠の青の天空を行けるなら、私は喜びのうちに褒めたたえよう、自由という名の神を!
- もし選べるのなら、寛容で善意の名君と呼ばれたい
- それでも君がついて来れるなら、嵐も怖くはない
- 義務を押しつけられたら、出ていくわ私
- つかまえると言うのなら、飛び出していくわ
- たとえ王家に嫁いだ身でも命だけは預けはしない
- 私を失いたくなければ、その条件をのんでください
- 子供たちを返したなら、どんな遠くへも参りましょう
- 呼んでくれれば、来てあげる
- 今を逃すともう二度とチャンスはないぞ
- もし裏切られたらどう生きていく?
- 彼が罪を犯したなら私自由になれる
- もし代われるなら代わってもいいのよ
- 私の孤独に耐えられるなら
- 一度私の目で見てくれたなら、君の誤解も解けるだろう
大人気ミュージカル『エリザベート』という作品一つをとっても。
いま思いつくだけでも、こんなにたくさんのifが使われている。
『エリザベート』は仮定法のオンパレード
さて、仮定法とは。
「現実とは異なること、現実ではありえないこと」を述べる際の動詞の形のこと。
仮に〜ならば、…なのに
もし〜だったなら、…だったのに
『エリザベート』は、オーストリア皇后エリザベートを主人公とした悲劇の物語である。
彼女と彼女を取り巻くすべての人たちが「条件付き」の生活を強いられながら、それぞれの居場所を求めてさまよう。
『エリザベート』に仮定法が多用されているのは、彼らがそれだけ動かしがたい(過酷な)現実を生きたことのあらわれだと思う。
そうしてイメージすることによって、仮定法が「if」という単語を使った無味乾燥な構文から、生きた感情表現の一つであるというふうに認識を変えることができるだろう。
(ウィーンの街に佇む皇后エリザベートの彫像)
仮定法は「願望」「後悔」を表す
「仮定法なんて使えなくても英会話はできる」
という意見を耳にすることがあるが、人間の深い感情を語るのに仮定法を避けて通ることはできない。
深層心理とまではいかないにしても。
日常的に湧きあがる軽い願望や後悔を表すのにも、仮定法はひんぱんに使われる。
【宝塚ファンが使いがちな仮定法】
- あの作品、観ておけばよかった
- チケットが取れていたらなぁ
- 一階席なら、もっと良かったのに
- 観劇前に腹ごしらえをしていたら、おなかが鳴って恥ずかしい思いをしなくて済んだのに
- 劇場内がこんなに寒いと分かっていたら、カーディガンを持ってきたのに
- もう少し早く気づいていたら、ヅカ友の〇〇さんとご挨拶できたのに
- あと◯◯ポイントで、ダイヤモンド会員になれたのに
- ハードディスクに空きがあったら録画しといたんだけど
- 仕事がなかったら千秋楽の配信が観れたのに
- そんなキャンペーンあったの知ってたら応募したのに
- わたしなら遠征するな〜
- もっと前から◯◯さんのファンだったら
- もし、わたしが◯◯さんの相手役になれたら
- ◯◯さんがトップスターになった暁には
- 娘がいたらタカラジェンヌにしたかったわ
- コロナさえなければ…
ヅカオタ界隈で言うと、ざっとこんな感じであろうか。
いずれの場合においても、人生というのは願望と後悔に満ちたものであることがわかる。
世界レベルで通用する英語教育を
以上のような例文を、正確な英文法に当てはめて教えるのはもちろんのこと。
例文を通して、どんなときにその文法を使うのかという「概念」をつかんでもらいたい。
なぜなら英語はテストでいい点数をとるためだけでなく、実際に使うためのものだから。
宝塚歌劇団は、これからもっと世界に広がっていくだろうし、卒業生の方々が外国で活躍される可能性だってある。
海外ミュージカルを演じるときなどにも、おおいに役に立つはずだ。
宝塚という素晴らしい教材を通して英語を教える
どんな状況下で、どんな表現を使うのかを学ぶとき。
教科書や参考書によくあるお仕着せの文章では、自分ごととして入ってこない場合が多い。
そこへいくと宝塚の作品は、タカラジェンヌさんにとってこの上ない教材だと思う。
習得すべき単元にふさわしいトピックが、あちこちに散りばめられているのだから。
もしわたしが宝塚音楽学校の英語教師だとしたら。
あらゆる公演の内容に関連づけて、英語が定着する方法を考えるだろう。
どうやって理解してもらおうかと考える作業が、楽しくて仕方ないに違いない。
宝塚のお芝居は、おとぎ語のようでいて、人生の縮図でもある。
だから人々は心を動かされ、物語の世界に身をひたすことができるのだ。
セリフや歌に、自分の気持ちを重ね合わせたり。
現在の(あるいは過去の)自分の状況を彷彿とさせるフレーズが出てきたり。
宝塚が好きな人ならだれでも、登場人物との共通項を見出すことがあるはずだ。
舞台と現実との狭間にある、共感という一筋の系。
それを英語でもリンクさせることができれば、習熟度はグッと上がると思われる。
多くの人は、英語は違う世界で話されている、違う種類の言葉だと感じている。
だが本来は、文化や環境の違いこそあれ。
涙、笑い、悲しみ、苦しみ。
人としての普遍的な感情、根っこの部分になんら変わりはないのだ。
興味のあることがらを通して学べば、勉強はうんと楽しくなる。
好きなことなら、なんでもすぐに覚えられるように。
好きこそものの上手なれ。
先人の言うことに、間違いはない。
【もしも】が動かすポジティブな力
しかし。
かの音校の先生になるなんて、それこそが「仮定法」の世界。
だけど、たとえ現実に叶う見込みがなさそうな願いでも。
それがモチベーションとなって、自分をつき動かしているとしたら。
もしかして、もしかすると。
仮定法を超えた何かを手に入れている可能性がある。
だから人は、夢みることをやめられないのだ。
「もしも」を重ねていくことによって、理想に近づけるとしたら。
わたしはまだまだ、がんばれそうな気がする。
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