キス・アンド・フライ【愛して 飛んで 生きて】
客室乗務員は、定期的に健康診断を受けなければならない。
わたしが勤める外資系航空会社では、日本で年に一度の人間ドックと特定業務健診、本国で5年おきのメディカルチェックの受診が義務づけられている。
前回は婦人科検診で引っかかったので心配したが、今回は異常なしで胸をなでおろした。
15年前、子宮がんと宣告された。
おまけに、卵巣のう腫も併発していると。
生まれてはじめて、死を意識した瞬間だった。
『治らなかったらどうしよう』
小さい子供がいたので、先のことを考えると不安で仕方がなかった。
さいわい初期だったので、すでにスケジュールされていた仕事を終えてから入院することになった。
フライト当日。
もしかしたら、これが最後の乗務かもしれないと思うと、同僚やお客様が愛しくて、何度も泣きそうになった。
大好きな仕事。
大好きな飛行機。
けれども、キャビンで私情は禁物。
笑顔で10時間余りを終えた。
機体後方で働いていたわたし。
飛行機を降りようと、いつものように搭乗口に向かう。
すると、乗客がはけたビジネスクラスの客室に、機長以下全員が集まっていた。
なにごとかと思った刹那、同期M美のかけ声で、一斉にバースデーソングを歌い出した。
びっくりして、にわかに状況判断ができなかった。
が、そうだった。
成田に到着した日は、わたしの誕生日だったのだ。
「お誕生日おめでとう!スウィーティー♪」
「泣くほど嬉しかったの?おばかさん!」
「泣きまねするなんて、ほんとに女優なんだから〜笑」
口々にお祝いの言葉をかけながら、皆が優しくハグしてくれる。
病気については、M美以外には知らせていないので、わたしがサプライズに感動しただけだと思って、冗談さえ飛ばしてくる。
ステイ中、「これを食べるのは最後かもしれない」「もう買い物もできないかもしれない」と、ネガティブなことばかり口にしていた。
そんなわたしを励まそうと、M美は内緒でクルー全員にわたしの誕生日を祝おうと提案し、事前に打ち合わせをしていたのだ。
自分のために歌ってもらったバースデーソングが、あれほど心に沁みたことはない。
その後、手術は成功し。
あれから15年。
わたしは、生きている。
医学的にも、完治したと言っていいらしい。
愛と感動が循環する場所【Kiss and Fly】
マニュアル通りではなく。
ときに家族や友達に接するように、同僚そしてお客様と向き合うM美。
他人を心から思いやり、行動できる人間こそ、この仕事にふさわしいと教わった。
わたしも、だれかの心に寄り添い、だれかの心を動かせるような人間になりたいと思う。
すばらしい同期を持ったわたしは、本当に幸せだ。
キス アンド フライ。
あの日にもらった、たくさんの心の花束をポケットに忍ばせて。
わたしはいまも、空を飛び続けている。
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