男の子を持つ母親が、息子との関わりの中で得るもの
けさ、洗面所で洗濯物の仕分けをするわたしに、夫がこう言った。
「サッカー着を洗濯するのも、これが最後だね」
息子は高校3年生。
ただいま、絶賛受験生である。
この時期まで部活をつづけているのは、彼が通うのがサッカーの強豪校だからだ。
サッカーだけでなく勉強にも手を抜かない学校だから、その点では環境に恵まれている。
いよいよ明日は、最後の選手権。
選手層が厚すぎてレギュラーにはなれなかったけれど、すばらしいチームメイトとプレーできたことは、彼の一生の財産である。
なにより、心の結びつきが固い。
苦楽をともにした仲間との絆は、かけがえのないものだという。
小学校のときから、盆暮れ以外はずっとボールを追いかける毎日。
長期休暇がないから、家族旅行にも行けなくなってしまった。
朝夕と練習があり、週末は試合に明け暮れる。
わたしは5時に起きてお弁当を作り、小さな背中をベランダから見送った。
素直な息子は、いまでもわたしの姿が見えなくなるまで手を振ってくれる。
わたしはその笑顔だけで、毎朝がんばることができた。
はじめはちっちゃいお弁当箱だったのが、しまいには工事現場で働く人みたいな大きさになった。
動くぶんだけ消費するから、食べても食べても足りないのだ。
ごはんとおかずと汁物。
3段に分かれたお弁当箱を、毎日いっぱいにするのは、たいへんなことだった。
だけどお弁当を作るのも、もうすぐおしまいだ。
部活を引退したあとは、卒業が待っている。
たくさん食べてくれたおかげか?
小さくあどけなかった少年が、いまやわたしを見下ろすまでになってしまった。
いや、大きくなったのは身体ばかりではない。
心も着実に成長を遂げている。
小学校受験以来、エスカレーター式になんとなく進学してきた息子。
はじめてひとりで立ち向かう受験に、心が折れるんじゃないかと心配していたが、彼なりに将来を見据えて着々と準備を進めているようだ。
彼の屈強な精神力を培ったのは、まぎれもなくサッカー部での厳しい鍛錬の日々である。
他者との競争。自分との戦い。
つねに気が抜けない状況のなかで、自分なりにたくさんのことを学んだのだろう。
練習着に刻まれた君の努力を、お母さんは誇りに思うよ。
わたしがフライトでいないときは、いつも夫が代わりに洗濯をしてくれた。
小学生のあいだは、わたしの留守中、義母が身の回りの世話を引き受けてくれていた。
おかげで息子は母親がいなくても、きれいな練習着でサッカーをすることができた。
あんたの練習着は、家族の愛情と思い出がいっぱい詰まっているんだよ。
もうこれを洗うこともないんだと思うと、いろんな思いがこみ上げてきて、洗面所にしゃがみこんで泣いてしまった。
12年間、雨の日も雪の日も、回し続けた洗濯機。
洗濯物が少なくなる日を待ち望んでいたくせに、いざそうなると思うと寂しい。
サッカー漬けだったこれまでの人生。
大学に入ったら、サッカーとは違うことがやりたいそうだ。
なにをはじめようと、彼が望んで決めたことなら、わたしは全力で応援するつもりだ。
あしたの選手権には、わたしも父兄として応援に行く。
息子がともに支え合い、いっしょに歩んできたトップチームの仲間が、最後の戦いに漕ぎだすのを、この目でしかと見届けたいと思う。
彼らは11人で戦うのではない。
チームメイト、監督、先輩方…そして、それぞれの家族。
みんながフィールドに向かって、見えない力を送る。
息子のサッカー人生の集大成を担ってくれる、たいせつな仲間たち。
頼もしくて、そして愛おしい。
有終の美を飾ることができるよう、陰ながら精いっぱいのエールを送りたい。
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