劇団四季ミュージカル「アラジン」感想③〈三つの願いを何のために使うか〉

劇団四季ミュージカル「アラジン」感想③〈三つの願いを何のために使うか〉

 



もしも願いが叶うなら。

アラジンのように魔法のランプを手に入れ、ジーニーから三つの願いを叶えてあげると言われたら。

わたしは、こうお願いする。

 

コロナが終息しますように

戦争がなくなりますように

エンタメ業界が、もっと手厚く保護されますように

 

他人の犠牲の上に成り立つ幸せは、ほんとうの意味での幸せではない。

勝つ人がいれば、負ける人がいる。

それは世の常なのかもしれないけど。

勝つことばかりに執着していると、結果的に自分の首を絞めることになると思う。

他人の幸せを願い、その幸せがめぐり巡って自分のもとに返ってくる。

そんな社会を目指せないものだろうか。

 

わたしだって神様ではない。

自分自身の幸せを願う、ひとりの人間だ。

だが最近、世の中の流れが極度な利己主義に向かっているように感じてならない。

きれいごとを言っていると思われるかもしれない。

政治や経済に疎い、ただのオタクの戯言だとも。

だが、わたしみたいなふつうの人間でさえ、今という時代に問題意識を持っていること。

そのこと自体がすでに問題だと思う。

オタクが楽しく暮らせる世の中は、幸せのバロメーターの一つだと思う。

なんの心配もなく推しを応援して、稼いだお金を落として、経済を回す。

今はそのサイクルが、ガタガタとつっかえては止まりを繰り返している。

 

三つの願いを他人のために使える人になりたい

 

三つの願いに話は戻るが、①や②が叶えば、世界中の人々が平和に暮らせる。

同時に、コロナ禍や戦争で分断されていた空がつながり、わたしはフライトに戻れる。

③が叶えば、役者さんたちは安心して芸事に打ち込める。

そしてファンは、大好きな舞台が中止になるたび悲しい思いをする機会が減る。

 

アラジンはこれまで、ウソばかりついて生きてきた。

ランプを手に入れたときも、自分の利になることだけを考えていた。

だがあるとき、ふと気づく。

だれかの幸せを望むことが、自らの幸せにつながっていることを。

そして彼は、どれ一つとして無駄にできない三つの願いのうちの一つを、ジーニーを自由にしてやることに使う。

己の欲望に忠実になるだけでなく、同時に隣人を救い出そうとしたアラジン。

他人の幸せを願うことによって、自分の幸せも叶う。

これは、おとぎ話なのだろうか。

 

魔法のランプは、権力の象徴ともとれる。

為政者はこのランプを、私利私欲のためだけに使ってはいけない。

恐れながら今の日本は、悪役ジャファーによって動かされているように見える。

他の記事をご覧いただくと分かるように、わたしはこれまで政治について書いたことはない。

だがこんなわたしでさえ、この時代の生きにくさを感じている。

人の心は本来、仕立てのいいシャツのように、美しく心地のいいものだと思う。

だけどボタンを一つ掛け違えることによって、取り返しのつかないことになる。

そんなとき大切なのが、ミュージカルを含む芸術の力だと思う。

子供騙しだと笑う人もいるかもしれない。

だが舞台には、人生の理想や希望、あるべき姿が凝縮されて存在している。

エンタメの光を消してはならない。

それは単に娯楽の消失ではなく、人間の魂が失われることにもつながっている。

人の意見は十人十色。

おとぎ話のように、すべてが丸くおさまるなんてことはあり得ないけれど。

アラジンのように、ピンチのときこそ隣人の幸せを願える人間でありたいと思う。

 

 

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