イギリス人が見た、大阪と東京の「笑い」の文化の違い
いまから1年前。
イギリス人ALTのウィルが、はじめてH中学に来たとき。
副校長先生との面談に、緊張しながらも、はりきってのぞんだ彼。
覚えたての日本語で、かっこよく「ウィルと申します!」と言おうとしたのに。
実際、口から出てきたのは、「ウィルとオモイマス!」だったそうだ。
(「I think I am Will!」って言ってしまった😱)
すぐさま、みずからの言い間違いに気づいたウィル。
笑われると思いきや、副校長先生は、何事もなかったように話をつづけたという。
その後なんだかいたたまれなくて、いっそ笑ってもらえたほうが良かったと彼は言う。
いっぽう、わたしはこの話を聞いたとき吹き出してしまった。
一生懸命日本語を話そうとして自爆するなんて、面白いし可愛過ぎる。
ウィルは、同じ日本人なのに、どうしてこうも人によって反応が違うのかと不思議がった。
わたしは、それは東京と大阪の文化の違いからきているものじゃないかと説明した。
笑いのプロとアマの境界線があいまいな街、大阪
大阪の人間は、笑いに貪欲だ。
日々、意識的に、また無意識に。
めざとく、なんか「笑ける」ことを探している。
そう、いわば笑いのハンター。
(そんなええもんちゃうって怒られそうだけど🤣)
違う地域の方たちからすると、揚げ足取りみたいに思われるかもしれないけど。
少しでもおもろいことを見つけると、ぜったい見逃さないばかりか、自分のネタ帳に抜け目なく書き加えることさえある。
(「それ、こんど使わしてもらうわ!」とかなんとか言って)
関西人、とくに大阪の人たちは、なんかしらMy鉄板ネタを持っている。
いざという時でも、なんでもない時でも。
各々のネタ帳に記されている、ちょっとベタな、でも確実に笑いがとれるネタをかます。
とくべつな人でしょうか?いいえ、だれでも(笑)
それは自虐ネタだったり、あるいは時事に関するものだったりと幅広いが、くりかえし語られことによって、ますます味が出てくる。
時間が経つにつれて、事実の何割増も話が盛られたりするが、他人から「それはないやろ」と一蹴されて終わることすらオイシイと思っている。
この「オイシイ」という感覚は、おそらく他の地域の人には理解されないのだろう。
まとめ
ずっと前に、大阪と東京の笑いに対する姿勢の違いについて書いた記事があるが、今回も同じ論理が働いていたと思う。
東京の人たちが他人の言い間違いや失敗を流す理由は。
相手にバツの悪い思いをさせないため、あえてスルーしているか。
話の流れを止めたくない、雰囲気を壊したくないから黙っているか。
ただの言い間違いだと、ごく普通に受け流しているか。
そもそも、その言動自体におかしみを感じていないか。
以上のどれかではないか?というのが、わたしの持論だ(えらそうに言うなw)
ウィルに言ったら、「オーサカにcomedianが多いのはそのためか」と納得していた(たぶん)
東京に出てきてもう30年も経つのに。
笑いに関してだけは、変わらないわたし。
いや、ほかの部分もあんまり変わっていないのだろう。
毎日の暮らしで見つける、ちょっとおもろいこと。
東京ではあまり披露する場がないので、今後もこちらでつぶやきたいと「オモイマス!」
(⇦そういうとこやぞ)
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