ミセスCAのオン&オフ日誌

50代現役外資系キャビンクルーライフ

【2025年お盆】お父さん、おかえりなさい

【2025年お盆】お父さん、おかえりなさい

 


お盆真っ盛り。

今年も父が帰ってきているような気がする。

 

あの世からしてみれば、大阪も東京も関係ないんだろう。

たぶん、どこでもドアみたいなやつで行き来できるんだと思う…知らんけど。

 

「あいかわらず暑いな〜」

そんな声が聞こえてきそうだ。

そうだよ、お父さん。

この世は年々暑くなってる。

久しぶりに、大好きだったウイスキーの水割りでもいかが?

 

父の命日は、わたしの誕生日

 

3年前の1月。

わたしの誕生日に、父が亡くなった。

初めて父親になったのと同じ日に、この世を去ってしまった。

 

若かりし日の姿が目に浮かんだ。

わたしを抱く父の写真は、どれも本当に嬉しそうだったから。

幸せな思い出とともに旅立ちたかったんだね。

わたしはそう思うことにしてる。

 

真夜中の訃報

 

「計画的?あのいい加減な親父が、そんなわけないやん」

電話口で悪態をつく弟の声は、かすかに震えていた。

 

弟は冷静沈着で、いつなんどきも取り乱すようなことはない。

父の死に際しても、悲しみを和らげるかのようにこう言った。

「父ちゃん、この日はあかんやろ。姉貴への誕生日プレゼントが『命日』やで?」

 

弟の物言いに少し笑ったあと、やっとの思いでわたしは言った。

「誕生日やったら忘れへんから。いつまでも忘れてほしくなかったんとちゃう?」

 

夜が明けたら、一刻も早く大阪に向かおう。

わたしが到着するまで、ひとりで父の死に向き合わなければならない。

弟の心境を思うと、それ以上言葉が出てこなかった。

 

子どもが大好きだった父。

長女のわたしは、父によく可愛がってもらった。

大人になってからは、けんかばかりだったけど。

出会いと別れが同じ日になるなんて、偶然がすぎる。

 

前日に夫からプレゼントされた花束。

当日に開ける予定だったワイン。

朝からスマホに届くバースデーメッセージ。

いつものように迎えるはずだった2022年の誕生日。

 

新しいスタートを切るはずが、過去への旅と変わってしまった。

なにもかもを置き去りにして。

わたしは父のもとへと向かった。

 

最後の別れ

 


棺の中の父の顔は穏やかだった。

ひんやりとした空気の中。

この世での喜びも悲しみもすべて終えた、安らかな寝顔だった。

 

その後のことは、あまりよく覚えていない。

ただ火葬場で小さくなった父を抱いて車に乗った瞬間。

雪がふんわりと舞い降りてきたこと。

あの薄曇りの空の色とともに、記憶に残っている。

 

「父ちゃんらしいな。このタイミングで雪降らせるなんて」

父親のことを誰よりもよくわかっていた、息子の言葉だ。

まるでそれが聞こえているかのように。

車を降りると、雪はぱったりと止んでいた。

 

生まれたばかりのわたしを抱いた父は、わたしの腕に抱かれて最後の日を迎えた。

 

父と交わした最後の言葉

 


母が倒れてから、およそ5年。

実家でひとり暮らしを余儀なくされた父は、慣れない家事に奮闘してきた。

病院で暮らす母を見舞うかたわら、自分もいろいろと患い、最後はほとんど寝たきりだったという。

 

コロナが流行る前は、少なくとも月イチで父母の世話をしに帰阪していた。

だが、2019年のクリスマスを最後に。

父とふたりきりでケーキを食べて過ごした夜以来、帰省を控えていた。

ステイホームが続く中、会いたかったけど会えなかったのだ。

 

そして2021年の年末、父は誤嚥性肺炎を起こして緊急搬送された。

かなり危険な状態なので、いま会っておいた方がいいと弟から言われた。

最後の別れになるかもしれない。

病院へ向かうわたしたちの足取りは重かった。

 

病室での奇跡

 

感情を表に出さない弟と、出さずにはいられない姉。

まだコロナ禍真っ只中だったが、わたしは父の手を握って泣いた。

弟は傍に立ち、静かに見つめていた。

 

わたしは、ありったけの思いをこめて語りかけた。

これまでのこと、これからのこと。

ありがとうも、ごめんねも、大好きだってことも。

だけど酸素吸入マスクをつけた父は、ぴくりとも動かない。

 

ご時世的に、面会時間がごく短く設定されていたころ。

もっと居たいわたしを制するように、弟が合図した。

その瞬間。

虚空を見つめる父の目から、ひとすじの涙がこぼれたのだ。

 

『わかってる、わかってるよ。ごめんな。来てくれてありがとうな』

 

いつも里帰りするたびにかけてくれた、優しい声。

聞こえない声があることを、そのとき初めて知った。

気のせいでもいい。

残された者の心の拠り所となるから。

父の声なき声が、わたしにとって最後の言葉となった。

 

あの世での暮らし

 

父があの世でどんな暮らしをしているのか。

想像もつかないけど、先に逝ったおばあちゃんには会えたのかな。

そして戦争で亡くなったおじいちゃんにも。

戦時中に5歳で生き別れたぶん、水入らずで暮らせているといいね。

 

この世は浮世。

人に生まれた以上、いつの時代も楽ではないけど。

人として生まれた以上、ここで生きていかねばならない。

わかっていても、いつも強くはいられない。

そんなときは遠くから、頑張れ、頑張れと声をかけてください。

あなたの声なき声が、わたしを強くするから。

 

ゆっくりしてってね

 

 

このあとは、お母さんと弟のところにも寄ってってね。

きっと待ってるから。

お母さん認知症だけど、お父さんのことだけはしっかり覚えてるよ。

いいことも悪いことも(笑)

 

来週は1年ぶりに実家に帰ります。

お母さんを見舞って、弟とは餃子の王将に行く予定。

毎年同じルート、毎年同じ話題。

でも、それがふるさとっていうもんよね。

戻る場所があるって、幸せなことだよね。

これまで、いろんなことがあったけど。

離れていても、みんな仲良く元気にしているから安心していてね。

 

懐かしい昭和時代、4人で暮らしたあの日々は戻らないけど。

またあの世で一緒に過ごせるのを楽しみにしています。

それまでわたしは、もう少しこっちで頑張るからね。

 

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