【教師からCAへ】フライト復帰までのファーストステップ
今年の11月からフライトに復帰すると決まったとき。
まっさきに考えたのが、勤務先の中学校のことだった。
時間講師とはいえ、年次の途中でやめるのは心苦しい。
しかし先生がたは、わたしの復職を自分ごとのように喜んでくださった。
副校長先生は、わたしが2学期に1日も出勤することなく、有給もすべて消化できるよう取り計らってくれた。
夏休み中に何度か学校に行き、退職の手続きをすませたあと、デスク周りをかたづけた。
この学校にいたのは1学期の間だけだったけど、机の中にはびっしりと教材や書類がつまっていた。
いちばん上の引き出しに入った、夏休みの宿題プリントを見て胸が痛んだ。
「夏休み明けには単語テストやるから、しっかり勉強してきてね!」
と、おしりをたたいて別れたばかり。
あれが、あの子たちとの最後の授業だったのだ。
去年赴任した学校には、ほぼ1年間いたので、より深く色濃い思い出がある。
どちらの学校での経験も、わたしのたいせつな宝物だ。
職員室、体育館、校庭、そして各学年の教室。
それまでの人生では、ご縁のなかった職場。
コロナがなければ、英語を教えることもなかった。
ロシアとウクライナとの戦争がなければ、教師として教壇に立つこともなかった。
ふりかえれば、なんと尊い経験をさせていただいたのだろう。
公教育に関しては素人だったわたしを、あたたかく導いてくださった教員のみなさまには感謝の気持ちでいっぱい。
そして子供たちにも。
まったく違う世界から来たわたしを、先生、先生と慕ってくれたこと。
こうして記憶をたどるだけで涙がこぼれてくるので、思い出語りはもっと先のことにする。
今は前に進むために、マインドからチェンジしていく。
人気ブログランキング【教師カテゴリー】から外れます
つい数か月前にブログジャンルを変更したわたし。
教職に身をささげようと決意した日から、いくばくもなく。
こんなに早く状況が変わるなんて、自分でも思っていなかったので、正直まだ驚いている。
きっと訓練に旅立っても、現地で生活しても、いよいよ飛ぶという段階になっても、この気持ちは薄れないのだろう。
それほど自分自身、夢見ていたことなのだ。
教師ではなくなったいま、人気ブログランキングの教師カテゴリーから外れることにする。
近い将来(冗談じゃなくて笑)CAを定年したら、また教えたくなる日が来るかもしれない。
それまでは、50代のひとりの人間として、日々の生活をつづっていきたい。
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