人の親になっても、人は親の子である

人の親になっても、人は親の子である

 

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母が入院して2年。

こんどは、父が入院した。

 

ふたりを見舞うため、東京から大阪の実家に帰省した。

わたしはいま、家族のいない一軒家にひとり居る。

 

当たり前にあった、両親の笑顔。

つねに絶えなかった、にぎやかな笑い声。

 

この家にはいま、過ぎ去った思い出しかない。

 

まだ暑さの残る9月。

それでも、夜はいくぶん涼しい。

 

外ではコオロギが鳴いている。

命いっぱい、鳴いている。

 

子どものころによく聞いた、その涼やかな音色。

都会暮らしでは聞くことのない、小さな虫たちの生の営み。

 

変わりゆく世の中で、変わらない声を聞いた。

 

元気だった父親。

気丈だった母親。

 

生きながらにして、遠くへ向かいゆく親たち。

 

そういう年代にさしかかっていると、頭ではわかっていても。

人がたどる最期が、これほど苦しみと絶望を伴うものだなんて。

 

なにもしてあげられない。

ただ、顔を見せることぐらいしか。

 

血をわけた親子でさえも、できることは限られている。

 

だれにでも、ひとしく老いはやってくる。

 

当たり前にあった健康と、楽しかった時間。

いつの日かそれを、懐かしく思うときがくる。

 

コオロギは子を成し、短い一生を終え、その子がまた生を謳う。

人もまた、同じなのかもしれない。

 

自然の流れに任せて、いまを精いっぱい生きる。

それこそが親孝行なのだと、いまさらながら思う。

 

まもなく成人する子どものいる、立派な大人になってしまった。

自分だってある意味、人生の折り返し地点に立っている。

 

それでも、親を慕う気持ちは変わらない。

いくつになっても、可愛い娘でいたいのだ。

 

秋の気配に包まれて。

過ぎ去りし夢のはざまをたゆたいながら。

 

今夜は、父母のぬくもりに包まれて眠りたい。

 

 

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