ブログ開設4周年記念日【認知症になった母との4年間】
ブログをはじめてから、まる4年が過ぎた。
今日から、5年目に突入する。
この4年間をふりかえるとともに、なぜわたしがブログをはじめたかについて記すことにする。
4年前、2017年の11月。
このブログは産声をあげた。
その年の夏に母が倒れ、大阪と東京の二重生活をしていたわたし。
厳密にいうと、フライトもあったので、ヨーロッパも入れると三重生活だった。
季節が変わり、秋の声を聞くころだったろうか。
東京の自宅近くで買い物をしているとき、その電話はかかってきた。
声の主は、母。
買い物袋をさげたわたしは、道の脇へと身を寄せ、明るい声で応答した。
「お母さん?どうしたん?」
「あんな、お母さん、先生に認知症て言われた」
人ごみの中、景色がぐんにゃりと歪んでいくように思えた。
恐れてはいたことだが、信じたくなかった。
あんなに記憶力が良く活動的だった母が、認知症だなんて。
そこから先、どうやって家まで帰ったのか覚えていない。
昔から、いろいろと褒めてくれた母。
なかでも、わたしの書く作文が好きで、
「あんたの文章は上手やわ。将来は作家になり」
などと言いながら、なんどもなんども読み返してくれた。
これから少しずつ、過去を忘れてゆくであろう母。
いまならまだ、まにあうかもしれない。
そんな思いではじめたブログ。
幼いころから、なんでも話してきた間柄。
こんなことも、あんなこともあったねと、思い出を共有しておきたい。
わたしは、母に褒めてもらいたい一心で、文章を書きはじめた。
いつでも読んでもらえるよう、スマホかiPadをプレゼントする予定だった。
しかしその冬、携帯電話の使い方すらわからなくなったと言い出した。
あれほどたくさんの漢字を知っていたのに。
メールの大部分が、ひらがなに変わっていった。
フライトのたびに、メッセージを送ってくれたのに。
ほどなくして、携帯電話は解約することになった。
離れていても、わたしのことが手にとるようにわかるように。
すこしでも明るい気持ちになれるよう、前向きなことだけ書くようにした。
でも、ちょっと遅かったみたい。
いちばんの読者であるはずだった、母のためにはじめたブログ。
読み手を失ったわたしは、こんどは自分のために書き続けようと思った。
その後、帰省のたびに病室で読んで聞かせた。
そのたび母は、声を出して笑った。
だけど今は、お見舞いに行くこともできない。
コロナで面会謝絶ゆえ、以前のようには帰れなくなってしまった。
たまに電話で話したり、実家の近くに住む弟から近況を聞くだけの日々。
日増しに、いろんなことを忘れていくみたいだけれど。
このまま、おだやかに時が過ぎてくれればいいと思う。
あまりに辛いことが多かったので、これまで母について言及することができなかった。
この4年で変わったのは、わたしの心かもしれない。
大事な人が、生きながらにして遠くへ行ってしまうこと。
もしかしたら、死別するよりも辛かったかもしれない。
しかし、あるがままを受け入れることこそ人生なのだと気づいてから。
わたしはなんとか、前に進めている。
人はこの世に、泣きながら生まれてくる。
人生という修行がはじまったことを恐れて、赤ん坊は泣くのだと。
母は、そう言っていた。
わたしがペシミストの傾向があるのは、母の影響だろう。
だけど母は、同時に教えてもくれた。
人の愛、絆、そして生きる喜び。
それらを、たいせつに守ること。
わたしが幸せでいることが、母のいちばんの幸せだとわかった日から。
どうにもならないことを嘆き悲しむより、笑って過ごそうと思っている。
それでもときどき、ネガティブなループに陥ることがある。
そんなときは、大好きな宝塚や英語やワインや友達のことを考えるようにしている。
ブログは心を映し出す鏡であるとともに、自分を元気づけるためのツールでもある。
これからも、どんどん楽しいことを発見して。
周りの人を巻き込んで、人生楽しんで生きる。
これがわたしの、5年目の抱負です。
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