一枚のはがきが結んだ、目には見えない親子の絆
母が入院して久しい。
ひとりで暮らす父のもとへ、月にいちど帰る。
足がわるく、思うように動けない父。
もともと、家事は母に任せっきりな人だったから、帰るたび部屋は荒れ放題。
注意をするとけんかになるから、黙々と掃除をする。
きのうは探しものがあったので、ふだん手をつけない押入れを開けてみた。
上の段に、祖母の遺品の入った箱がある。
そこから出てきた、一枚の古いハガキ。
昔の人の筆跡で、なにやらしたためてある。
達筆すぎて、解読ができない。
薄ぼけたその文字を、目を凝らして読んでみる。
宛先人は、だれか知らない人の名前。
そして差出人は、太平洋戦争で亡くなった、わたしの祖父であった。
おそらく、ハガキの持ち主が、祖父の亡きあと祖母に託したのだろう。
先日は、愚息◯◯の節句の祝いにと、過分のお心遣いを…
消印を見ると、昭和十五年五月とある。
父が生まれたのは、昭和十四年五月。
父が一歳のときの、端午の節句のお祝いに対する礼状だとわかる。
はじめて目にする、実の祖父の筆跡。
流麗でありながら、とてもやさしい。
その人生の少し先に、死が待ちうけていることなど、みじんも感じさせない。
わたしはあわてて、それを父に見せた。
父は驚いてそのハガキを見つめ、しばらくなにか言ったあと、声をあげて泣いた。
父が泣いたのを、はじめて見た。
どんなことがあっても弱音を吐かない父が、メガネの奥の小さな瞳を濡らしている。
まるで子供のように、肩を震わせながら。
「八十のじいさんが泣くなんてなぁ…」
自嘲とも、弁明ともとれる言葉を発したあと、そのまま黙りこくってしまった。
祖父は、フィリピンのルソン島というところで、二十九歳という若さで戦死した。
あまりに早すぎる別れだったので、父には祖父の肌の温もり以外、思い出の品など残っていない。
奇しくも、たったひとつの遺品となってしまった一枚のハガキ。
すっかり色あせたそれを、老いてしわくちゃになった頬に近づけている。
目を閉じて、静かに。
父親の温もりを、思い出すかのように。
会うと口げんかばかりしている、父とわたし。
でも父は、祖父とけんかをすることもなく、幼いころに生き別れてしまった。
この世に生きて、ことばを交わせる尊さを、感じずにはいられない夜だった。
わたしにも、いつか近い将来、父と別れる日がやってくる。
そのときが来るまで。
目には見えないハガキに、たくさんの思い出を綴ろう。
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