はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
インターネットと100円玉【ネット社会をどう生きるか】
コロナ禍、問題意識と諦めの無限ループ
みなさん、お久しぶりです。
Vikiです。
フライトに出られなくなって、約1年と5ヶ月が経ちました。
コロナ…いったい、いつ終息するんでしょうね。
それにしても。
来る日も来る日も、ネガティブなニュースばかりで、ホントうんざりしますね。
インターネット上でも、医療やオリンピックをめぐって、さまざまな意見のぶつかり合いを目にします。
どんどん信頼を失っていく政治、それを煽るマスコミ。
「自粛」の意義は加速度的に薄れて、感染者は増えるいっぽう。
行き場を失った人々の心は、ひたすらギスギスしていくばかり。
思うことは、いっぱいあります。
疑問、愚痴、不平不満、そして怒り。
でも、だれにもぶつけようがないから。
また、ぶつけたって解決しないから。
人はそうやって、同じところをグルグルまわっては、最後に口を閉ざしてしまうのです。
言うてもしゃーない、腹を立てても無駄、と。
ネット社会が生み出した利便性とその代償
しかし、現代社会を生きるわれわれは、昔の人たちとは違います。
生物学的な口は閉ざしても、バーチャルな口はむしろ饒舌なまま。
とくにSNSは、その捌け口を担っている印象を受けます。
イソップ寓話に「王様の耳はロバの耳」というお話がありますが、その内容はTwitterを彷彿とさせます。
リアルでは言えないことを、穴ほって言う、みたいな。
(井戸に向かって叫んだという説もあり)
この物語には、権力を恐れず真実を告げた床屋の勇気と、彼の行為を許した王の寛容さ、両方ともが賞賛に値するという教訓が込められています。
しかし、実際はこううまくいきません。
対立、攻撃、トラブル、そして炎上。
永遠に平行線をたどる案件のほうが、ずっとずっと多いのです。
お互いの利権がからんでくると、なおさらのこと。
派閥や捏造なども、問題解決をさらに難しくしています。
匿名性が可能であることも、誹謗中傷やいじめに繋がる原因の一つでしょう。
犯罪が起きやすいのも、匿名性という自由が生んだ問題点だと思われます。
すべての事象は表裏一体
わたしが小さいころ、父が言っていたことを思い出します。
ポケットから100円玉を取り出して、それをひっくり返しながら。
見てみ。
ものごとには、裏と表があるんやで。
お金だけじゃなくて、なんにでも。
父は、それ以上は言いませんでした。
表が正しくて、裏が間違ってるとか。
いつも表だけ見て生きなさいとか。
正義を押しつけるようなことは、ほとんど言わない人でした。
ただ、この世に存在する真理というものを、教えてくれました。
大多数が表と思っていることでも、かならず裏と言う人が出てきますからね。
また反対に、みんなが表だと言うことが、自分にはどうしても裏だと思えたり。
いずれにしても、対岸にいる人たちの思考は変えられないから、自分が変わるしかないのです。
いま生きている場所で。
それぞれが、できることに邁進するしかないと感じています。
この感情が、あきらめから生まれたのか、はたまた希望の種なのかは分からないけど。
人は、現状を乗り切るしかないのです。たぶん。
それにしたってね。
昨今の世情のあまりの混乱ぶりには、目を背けたくなります。
こういうご時世だから、仕方がないんでしょうけれども。
テレビもネットもリアルも。
どこを向いても批判や非難の嵐で、ほとほと嫌気がさしてしまいます。
言葉の暴力レベルの表現に出会った暁には、鬱々とした気分にもなります。
かといって、すべての情報をシャットアウトすることはできないし。
楽しいことだけ考えていたくても、そうは問屋がおろさないし。
(ところで、問屋って一体だれのこと?🤣)
ただ、100円玉硬貨を眺めるがごとく。
目の前にあることがらを、たんたんと受け入れ、自らの使命に従事する。
「たんたんと」までは無理としても、自分なりに腑に落として前へ進む。
それくらいしか、一個人としてできることはないのかな。
自分の無力さを、ときどき嘆きたくなるけど。
でも、それができれば万々歳かな。
(何周も回って、やっぱりこうなる)
ネット上に落ちている、自分にとっては「有り得ない」ような情報も。
コイン表裏一体スコープ(勝手に命名)を使って、客観的にとらえてみる。
物事の本質は、じつは同じなんだと。
見ている向きが、違うだけなんだと。
そう考えるようにすれば、ちょっとは楽になるかも。
表を上にしてるやつ。
裏向いてるやつ。
側面で立ってるやつ。
重なってるやつ。
そもそも、浮かんでるようなやつ。
想像を絶するような存在の仕方で、ことばや情報は溢れているから。
ちゃんと取捨選択ができる、ブレない自分でいたい。
インターネットの良いところ
インターネット上には、議論や考え方のすれ違いばかりではなく、幸せな場所もたくさんある。
大切な人とラインやメールを交わしたり、気のあう人たちとSNSで意見を交換したり。
実際には会ったことがない人にだって、なにげないやりとりを通して、あたたかい気持ちにさせられるときがある。
またわたしは現在、オンライン英会話の講師をしているが、その仕事はとても楽しい。
直接お客さまに関わることがすべてのような職場にいた人間が、コロナ禍においてなお、こうして社会と接点を持っていられるのも、在宅ワークを可能にするインターネットシステムのおかげだと感謝している。
たとえオンラインでも、人間関係を構築する作業は、実社会のそれと何ら変わらない。
ビデオ通話と違って、相手の顔が見えない通信手段であったとしても。
向こう側にいる誰かの気持ちを思って行動するよう、一人一人が心がけたら。
インターネットライフは、もっともっと素晴らしいものとなるに違いない。
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