外資系エアラインの新人訓練【エピソード1】
かけがえのない同期生
まもなく、入社記念日を迎える。
今年で、二十うん年目。
毎年この時期になると、同期で一緒にお祝いをする。
フライトやプライベートで予定が合わず、会えない年には、LINEで祝辞を送りあう。
わたしの同期は六人しかいない。
外資系航空会社は、欠員が出たときにしか募集をかけない。
だから、一度に採用される人数はごくわずか。
十うん年前に一人退職して、現役は五人になったが、いまでも密に連絡を取り合っている。
「おなじ釜の飯を食う」などというけれど、ほんとうにそうだ。
訓練中は、それまで食べたことのない黒パンだのニシンの酢漬けだのを「ナンジャコリャ」と言いながら、三食を共にした。
一か月もの長い期間にわたる訓練を、ともにくぐり抜けた仲間たち。
あのころがあったからこそ、いまがある。
同期六人中、三人が、名だたるエアラインからの転職組。
そしてもう一人は、英検一級・TOEICほぼ満点の、元エリート銀行員。
訓練中の授業はすべて英語で行われ、ぶっといマニュアルも、ナゾの航空用語がびっしりと並ぶ。
残りの二人。
わたしとM美は、まるでチョウチンアンコウみたいに、いつも頭上にはてなマークを飛ばしていた。
とりわけ、わたしの進捗状況のあまりのショボさに、
「ビキちゃんは行間を読むからね〜」
と言われたくらいだ。
(英語のマニュアルに、行間もなにもあるかい!泣)
M美は当時、唯一の新卒だったが、機転がきく賢い子なので、未経験な部分をじゅうぶんにカバーしていた。
大阪から東京、そしてヨーロッパへ
問題はわたしだ。
飛び抜けて気が利くほうでもなければ、飲みこみだって遅いほう。
なにより、大阪をほとんど出たことのないような人間が、東京をベースに海外へ行く仕事についたのだ。
訓練が終わるころには、言語や文化の壁にぶち当たって、血みどろになっていた。
ヨーロッパ以前に、まずは東京との言語や文化の違いを克服する必要があった。
その後、長い年月を経て、ゆっくりと雨だれが石をうがつように。
たゆまぬ努力と忍耐?により、わたしは異文化に溶けこむことに成功した。
その甲斐あって、いまでは東京の原住民に間違えられるほどだ。
もちろん、大阪に戻ると、生来の関西魂が炸裂する。
戻らないまでも、同期のAちゃんが関西人なので、二人寄れば世界のどこにいてもコテコテになることができる。
訓練中のエピソードで印象深いものがあるので、つぎの記事でご紹介したいと思う。
📕 外資系エアラインの新人訓練【エピソード2】
人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックをいただけると励みになります。