センター試験を終えた皆さんへ
センター試験
共通一次。
もとい、センター試験が終了した。
わたしは共通一次の末裔。
息子と話をするときも、ついクセでそう言ってしまう。
センター試験の日は例年、雪のふる日が多い。
大雪のため、会場へ行くことが難しい年も。
ことしも、大勢の受験生やご家族のみなさんが、たいへんな思いをされている。
いまは冷たく寒いけれど、桜の咲く季節はすぐそこ。
どうか、さいごまで走り抜いてください。
共通一次
わたしが共通一次を受けた年。
前代未聞の「理科かさ上げ事件」がおきた。
生物&物理の平均点が、化学&地学のそれと、30点近くもの差があったため、生物&物理の受験生の得点を「カサ上げ」するというものだ。
生物が苦手だったので、人並みの点数にまで引きあげてもらったが、あの衝撃はいまでも忘れない。
化学のO川先生
理科といえば、高校時代のO川先生のことを思い出す。
そのころ「グリコ森永事件」で、世間を賑わせた犯人にそっくりだった。
恐怖の授業
O川先生は、遅刻におそろしく厳しかった。
生徒は、授業開始のチャイムが鳴る「前」までに着席していなければならなかった。
キーンコーンと、音がなったらもうアウト。
言いわけ無用。
容赦なく、教室の後ろに立たされた。
また、指名されて即座に答えられないと立たされた。
進学校で、中学時代ほとんど立たされた経験のない者ばかりだったから、最初はちょっとした騒ぎになった。
毎朝なぎなた部の朝練で、防具を片づけたり袴を畳んだりするのが遅かったわたしは、いつも教室にすべりこんでいた。
だが彼が赴任してきてから、1限目に化学がある日は「すべりこみセーフ」というワザが使えなくなってしまった。
それでも、どうしてもチャイムに間に合わないことがあり、「立っとけの刑」によく処された。
わたしはまた、化学の成績がばつぐんに悪かったため、質問に答えられず、ダブルで立っとくハメになった。
アホな生徒を、ずっと後ろに立たせていたらどうなるか。
授業に集中できなくて、さらにアホになるだけである。
それを知っていた先生は、ほかの生徒とは比較にならない早さでわたしを座らせた。
そしていつしか「◯◯(わたしの名前)6限おわったら化学講義室きなさいよ」が、授業の締めくくりの言葉となった(=お呼び出し)
恐怖政治ならぬ、恐怖授業であったが、粛清されずに済んで良かったと思う。
教育実習での再会
ときは流れ、大学4回生の春。
教員免許をとるため、母校に教育実習に行くことになった。
英文学科だったので、担当科目はもちろん英語。
久しぶりの母校。
誇らしいような、恥ずかしいような気分で正門をくぐった。
すると、なつかしい顔がわたしを出迎えてくれた。
そう、グリコ犯…もとい、O川先生が満面の笑顔で、
「◯◯が、教師かあ〜〜〜」
いかにも可笑しそうに相好を崩している。
メガネの奥の細い目は、優しさすらたたえている。
先生の顔に、レパートリーがあることを初めて知った。
高校時代は、いつだって冷たい表情で、ムヒリとも笑うことがなかった。
つねに右手で口もとを隠していて、本当の姿をうかがい知ることはできなかった。
その先生を、こんなにも笑わせている自分。
卒業してもう4年も経っていたのに、よっぽどアホの印象が強かったのだろう。
わたしは反撃に出た。
「そんなに笑わないでください。わたし、文系科目の成績は良かったんですよ」
先生は、それでも笑うのをやめない。
わたしは思った。
もしかしたら、在学中はこわい先生のふりをして、みんなに頑張ってほしかっただけなのかなと。
たしかに、先生に叱られないように、みんなすっごく勉強したし、遅刻もなくなった。
わたしも、そんな教師になりたいと思った。
だが人生はわからない。
いまはまったく違う畑を耕している。
受験生のみなさんへ
受験生のみなさん。
大学入試は、ほんとうにしんどいです。
出口が見えなくて、泣きたくて、逃げ出したいかもしれません。
でも、長い目で見れば。
入る学校はもちろん大切だけれど、社会に出て何をするかの方が、ずっと重要です。
センター試験で取った点数は、あなたという人間の品質を定めるものではありません。
精いっぱい頑張った結果が、手持ちの得点であれば。
落ちこんだり、振り返っている時間があるなら。
その数字とともに、「これから何ができるか」を考えてください。
いまは泣きたい人も、数年後には笑い飛ばせる日がきます。
📕わたしの【共通一次】受験エピソードはこちら
人気ブログランキングに参加しています。
応援クリックをいただけると励みになります。