フライト復帰までのコロナ禍3年間で学んだこと

フライト復帰までのコロナ禍3年間で学んだこと

 

 

フライトに戻れる

 

先日、アジア人クルーを対象にしたオンラインミーティングが開かれた。

今回のは、いつもとは違っていた。

長い長いブランクのすえ、待ちわびた言葉が言いわたされたのだ。

 

「2023年の夏スケジュールより、日本人客室乗務員のフライトを再開する」

 


どれだけ待ち望んだことだろう。

ほこりを被った、出番のないスーツケース。

更新するのみで、しまわれたままのパスポート。

街で黒いパンプスを見かけるたび、キャビンシューズに良いなと手にとっては、「いまは必要ない」とそっと元に戻した日々。

 

2020年の3月まで、成田とヨーロッパの都市を結ぶ路線に乗務していた。

ちょうど、年に一度のエマージェンシートレーニングを控えていたころ。

流行り病でフライトがなくなっても、訓練が延期になってラッキーだと思うことにしていた。

だがその年の訓練は、そのまま立ち消えになってしまった。

その翌年も、またその翌年も。

 

このときすでに、入社して25年。

本来なら、あの春。

勤続25周年を祝って、本国の国旗とダイヤモンドが入ったウイングピンが贈られるはずだった。

それを胸につけてもらえるセレモニーを、心待ちにしていたのに。

事情がよくわからないうちに、すべてのことが先送りにされてしまった。

 

それまでにも、SARSや新型インフルエンザなど、数々の感染症の脅威と戦ってきた。

恐れながらもことなきを得てきたので、今回も一過性のものだとばかり思っていた。

長いCA人生、さまざまなピンチに出くわしてきたけど、これほど苦しめられたことはない。

コロナ禍による渡航規制にはじまり。

ようやく道がひらけてきたかと思いきや、つぎはロシアとウクライナの戦争が勃発。

わが社の日本ルートはシベリア上空を飛行するため、全便がキャンセルになってしまった。

 

周囲に支えられて

 

まさかのダブルパンチに「もしかして我々、このまま飛ばずに定年迎えるんちゃう?」なんて言う同期もいた。

だけどわかっていた。

冗談を言っている本人も心を痛めていること。

わたしたちは不平を言わず、ただ静かにお互いを励ましあった。

 

 

本国のリーダーたちも、外国人社員であるわたしたちを放っておくことなく、つねに情報を共有してくれた。

キミたちの住む美しい国が大好きだと。

キミたちの勤勉ですばらしいサービスを誇りに思っていると。

つらくて暗いトンネルの中、優しい声がいつも響いていた。

ほかの外資系エアラインが、つぎつぎと日本人を解雇していくなか。

状況が整いしだい、かならず呼び戻すと言ってくれた。

 

ちいさな翼をもぎ取られてから、3年目の冬。

ふたたび、大空を夢みるときがやってきた。

 

英語と向き合った日々

 


希望だけは捨てずにいたけど。

あまりにスタンバイ期間が長かったので、正直べつの道も考えた。

いや、考えざるを得なかった。

自分に何ができるのか、これほど考えたことはない。

就職活動のときでさえ、ここまで深く自分を見つめることはなかった。

 

さいわい会社が副業を認めてくれたので、オンライン英会話講師の仕事をはじめた。

かつては教職を志したこともあり、ひととおりの免許は取得している。

だが四半世紀以上ものあいだ、サービス業のみに従事してきたわたし。

端末の向こうに現れる見知らぬ生徒さんに、戦々恐々としながらレッスンを行なっていた。

 

同時に、自身もネイティブ講師のレッスンを受け、毎日のように英語に触れていた。

海外で生活ができる程度、外国人と問題なくコミュニケーションがとれるレベルだったコロナ禍以前の英語力。

いまでは細かい文法の違いや表現のバリーエーションについても説明できる。

わたしが一生添い遂げるものがあるとするならば。

それは英語だと、いまは迷わずに言える。

 

英会話講師の道

 


ミーティングの翌日。

常連の生徒さんがレッスンにいらした。

フリーカンバセーションだったので、まず「なにかニュースは?」というテーマで話をした。

彼は、さいきん髪を切ったことを報告してくれた。

ひとしきり盛りあがったあと「先生は?」と聞かれた。

きのうの今日ということもあり、わたしは来年から本業に戻ることを明かしてしまった。

するととても残念そうに、「ではもう、こうして教えていただけることもないのですね」と言われた。

少しいたたまれなくなり、話題を変えようと試みた。

「コロナ以降の2年と9ヶ月で、なにを学び、なにを得ましたか?」

すると生徒さんは、こうおっしゃった。

「英語力の向上と、Viki先生とこうして楽しく勉強できる時間です」

びっくりして、その場ではありがとうございますと笑いながら伝えた。

社交辞令であれ、心から嬉しいと思った。

そしていまは泣いている。

教育のプロではなかったわたしを、指導者として育ててくださったのは生徒さんたち。

わたしを選んで学びにきてくださった数百人の方々にお礼を申し上げたい。

フライト復帰まで、まだ時間はある。

より密度の濃い授業が提供できるよう、最後まで努めていきたい。

 

パンデミックがもたらしたもの

 

コロナ禍で得たこと、学んだことは数知れず。

良いことも、悪いことも。

そう、まるで『人生万事塞翁が馬』を地で行くように。

仕事だけでなくプライベートでも、いくつもの転機を迎えた。

このパンデミックは、人々の暮らしや考え方を根底からひっくり返すような出来事だったと思う。

まだまだ終わりは見えていないけれど。

光が見えてくるその日まで、目の前にあることがらをこなしていくほかない。

 

今後の課題

 


大好きな仕事に戻れるにあたり。

じつは、喜びよりも不安のほうが大きい。

なぜならわたしはこの休職中、まごうことなきアラフィフとなったからだ。

この年になると、3年ごとの自分の衰えをひしひしと感じる。

 

気力、体力、そして記憶力。

気力は気合いでなんとかするとして、まず体力。

なにが怖いって、ロシア上空を迂回するため、11時間ほどだった飛行時間が14時間近くまで延びるということだ。

ただでさえ重労働。

それをいきなり3時間もよけいに働くとなると…気が遠くなる。

巨大な飛行機のなかを何往復もしていたのが、小型犬の散歩くらいしかしていないのが現状。

ひとまず、心臓破りのマンション階段上り下り再開からはじめよう。

モノ忘れが激しいのは仕方ない、現場でリハビリするとしよう。

 

ミセスCAのオン&オフ日誌継続決定

 


課題は山積みだが、前進あるのみ。

とりあえずこのブログが「(元)ミセスCAのオン&オフ日誌」にならずに済むことをお伝えできて嬉しい。

来年からはふたたび、フライトカテゴリーの記事が増えることを祈りつつ。

もうじゅうぶんすぎるほど羽を休めることはできたから。

来春に向けて力強く飛べるよう、ウォーミングアップに励もうと思う。

 

 

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