帝劇ミュージカル【モーツァルト!】古川雄大×木下晴香バージョン 観劇レポート
2018年 6月11日 ソワレ
噂にたがわぬ、すばらしい舞台だった。
主演の古川雄大君の、モーツァルトとして「役を生きる」姿に胸を打たれた。
役者というのは、舞台上でその役を生きる者。
このミュージカルは、出演者全員が、まるでその時代の人間であるかのように息づいていた。
この日の香盤表
感想
コンスタンツェ役、木下晴香さんの「ダンスはやめられない」が心に響いた。
デュエット曲「愛していれば分かり合える」の歌詞どおりに、互いの奥深くふれあうことができない哀しみ。
理想と現実とが、どんどんかけ離れていく焦燥。
刹那的に生きているように見せかけて、心のなかでは物凄い葛藤がうずまいている。
あふれ出すさまざまな感情を、まだ19歳とは思えないほどの退廃的な色香をもって歌いあげていた。
悪妻の代表のようにいわれるコンスタンツェ。
だが、天才モーツァルトの妻でいるのは、なみたいていの精神では務まらなかっただろう。
夫が命を削って音楽を創り出したのと同様、やり方の是非はどうあれ、精いっぱい夫を鼓舞しつづけた妻としての苦悩が伝わってくる歌唱だった。
ヴァルトシュテッテン男爵夫人役の涼風真世氏は、コロレド大司教役の山口祐一郎氏と同じく、そこにいるだけで場面が成立するという、圧倒的な存在感に満ちていた。
宝塚ファンである、わたしの個人的な見解であるが、男役トップを張った人間にしか出せないオーラというものが存在すると思う。
涼風氏は、なん年にもわたってそのオーラを放ちつづけるスターである。
「星から降る金」を歌う彼女こそが、黄金のように輝いていた。
そして、このミュージカルの至宝とも言うべき名曲、
「僕こそ音楽」と「影を逃れて」
いずれのナンバーも、魂が強く揺さぶられるような感覚に包まれた。
気がつくと、泣いている自分がいた。
天賦の才を持ちながら、同時に享楽的な若者でもあった、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
ほんとうはもっと楽に生きたいのに、自分自身の才能がそれを許さない。
つねにそのギャップが支配する呪縛に苛まれ、苦悩の末に精神を病んでしまう。
無邪気な子供だったモーツァルトが、大人になり年を重ねるにつれて狂気をエスカレートさせていくさまが、息苦しいほどに伝わってきた。
結局、最期まで自分の「影」から逃れられなかったモーツァルト。
だが古川君を見ているかぎり、立派な成長を遂げた、ひとりの人間としての人生が、たしかにそこにあった。
悲劇ではあるが、清々しさも同時に感じることができたのは、古川君のリアリティある芝居に魅せられたからに他ならないだろう。
父親役の市村正親氏の、重厚で手堅い演技も、モーツァルトに息を吹き込んだ大きな原動力であったに違いない。
あの日以来、劇中歌が頭の中をエンドレスでリピートしている。
そんな甘い苦しみを、観劇後もなお味わうことができるのは、この作品が不朽の名作たるゆえんだろう。
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