日本食にまつわるエピソード
先日、機内食について記事を書いていたら、新人のころを思い出した。
もう何年も前に定年退職された、大先輩Mさんとのエピソードをお話ししたい。
機内食
今でこそ、欧米の食文化が根づいており、食の好みも多様性に富んでいる日本だが、二十年ほど前までは、まだまだ和食中心。
機内食も、日本人のお客様には、日本食がいちばん人気があった。
だから、サービスが終わったあと残っている日本食の数は少なかった。
その日に搭乗されるお客様の国籍で、搭載するメインコースの種類と数を調整すると聞いた。
ムダに余ることがないよう、うまい具合に計算しているのだろう。
だがその部署だって占いの館ではないので、予測が外れてオーダーがひとつのメニューに集中する日もある。
こと日本食においてはその傾向が強く、ひとつも余らないなんてこともざらにあった。
平等を尊ぶ
Mさんは日本食が大好きで、余りがあれば必ず日本食を選んでいた。
でも、残りがひとつのときはいつも、半分に分けてわたしにくださった。
先輩なのだから、何も言わずに先に好きなものを食べたっていいのに、Mさんは笑顔でこう仰った。
「日本食、半分取っておいたわよ」
ご飯も、鶏肉も、シイタケも、ししとうも。
ぜんぶ、半分に切ってある。
それも、定規で測ったかのように、きっちり半分こだ。
糸こんにゃくなども、同等のボリュームで分けてある。
お手を煩わせて気の毒なので、何度か丁重にお断りしたのだが、
「そんなのいいのよ〜。さ、食べましょ♪」
とキラキラした目で言われるので、勧められるまま一緒にいただいていた。
タイ料理にまつわる思い出
当時は、現地でのステイが長かったので、たいてい一回は日本人の同僚と食事に出かけた。
わが社の飛行機は、基本日本人ニ名体制なので、メンバーは基本的に二人だ。
タイスキ(タイ風鍋料理)
アジア系のお料理を好まれるMさんは、タイレストランを御用達にしていた。
そこは、おいしいタイスキが食べられるお店だった。
平等を尊ぶ
ある日、Mさんとそのタイスキを食べに行く機会があった。
席についたら、お皿が二つ運ばれてきた。
鍋の具材だ。
同じものが同じ量で載っている。
そして肝心な鍋は、テニスコートのネットのような金網が、真ん中にかけられてあった。
鍋の具材を自分の陣地で育てながら食べるという形式を知ったのは、このときが初めてだったと思う。
鍋をつつきあうとか、鍋奉行とかいう言葉があるくらい、コミュニケーションツールとしての鍋をイメージしてきたわたしにとっては、それは画期的なシステムであった。
具材を入れるタイミングを見計らったり、煮えばなを勧めあったりする必要がないので、とても合理的で楽だ。
外資系って、こんなところまで個人主義が浸透しているのだなと、改めて感心したものだ。
しかし、わたしの葛藤はそこから始まった。
海鮮や野菜、お肉の類いは、自分のコートで育つのを待てば良かった。
だが問題は春雨だ。
春雨は、ネットの両側を、それこそ縦横無尽に行き来する。
あっちにいたかと思ったら、こっちに流れてきて、食べていいタイミングを計りかねた。
戸惑うわたしに気づいたのか、Mさんは言った。
「これ、あなたの春雨よ」
アナタノハルサメ
ワタシノハルサメ
春雨一本一本に所有格がつくことも、このとき初めて知った。
優しいお言葉に甘えて、わたしは透明なそれをすくう。
その後も、これは誰の春雨だろうかと、ネットの隙間を行き交う無数の糸を見ながら考えた。
味についてはほとんど覚えていないが、鍋底をたゆたう春雨だけは、今でも鮮明に思い出すことができる。
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