千歳船橋 青春のかけらを置いてきた街
同期ふたり暮らしのいきさつ
外資系航空会社に採用が決まってすぐ。
東京で、約1週間の研修があった。
その後、本国にわたり、約1ヶ月間の訓練を終えて帰国し、東京に居を構えることになった。
同期6人のうち、地方(大阪)出身者は、Aちゃんとわたしだけ。
あとの4人は、自宅から成田まで通える距離に住んでいたので、家を探す必要があったのは、わたしたち2人だけだった。
だぁれも知らない東京。
初めての土地で、いきなり一人暮らしをするのは心細い。
それまでずっと親と一緒に住んでいたわたし。
ダメ元で、Aちゃんにお願いをしてみた。
「いっしょに住んでくれへん?」
「住まへん?」(提案)じゃなくて、「住んでくれへん?」(依頼)だ。
すでに東京でも、アメリカや香港などの外国でも、一人暮らしの経験があったAちゃん。
最年少なのにすっかり自立していて、だれかといっしょに住む必要性はなかった。
だがAちゃんは、さほど考える様子もなく「ええよ」と言った。
Aちゃんの論はこうだ。
最初は、なにかとお金がかかる。
家具や家電の費用を折半すればお金が浮くし、同じ家賃でもワンルームより2DKのほうが、いいところに住める。
二人のフライトが重なることは滅多にないから、コスト面だけでなく防犯上にも良い。
さみしがりやのわたしと、しっかり者のAちゃんの利害が一致した。
頼りないわたしを放っておけないという、人助け的な感情も働いたのだと思う。
住む場所はもちろん、Aちゃんが指定した。
「知り合いのいる世田谷区に住みたい」と。
東京に何区あるのかさえ曖昧だったわたしにとっては、どこだって同じだった。
ただ「セタガヤ」といえば「ええとこ」のイメージがあったため、安心して首を縦に振った。
こうして、ふたりの新生活(珍生活)がはじまった。
【千歳船橋】2DKの新築マンションで東京生活をスタート
小田急線・千歳船橋の駅から歩いて5分。
すぐそばの通りには、たいてい流しのタクシーが走っていたから、空港までの通勤には困らなかった。
困ったことといえば、エレベーターのない物件であるということ。
2階だとはいえ。
フライトのたびに大きなスーツケースを持って階段を上り下りするのは大変だった。
当時のフライトパターンは、なんと10日以上も家を空けるものだったので、スーツケースが鉛のように重かったのだ。
家電製品はすべて、新宿の量販店「さくらや」で揃えた。
あんなに繁盛していたのに、ずいぶん前に閉店したみたいだ。
「安さ爆発みんなのさくらや〜」という歌が、まだ耳に残っている。
終着駅は始発駅【新宿】
小田急線の始点は新宿駅。
遊びに行くときも、帰省するときも。
どこへ行くにも、この駅を拠点として行動していた。
Google Analytics先生によると、新宿には大阪と同じくらい拙ブログの読者がいらっしゃるそうなので、これもなにかのご縁かと思う。
千歳船橋駅前に流れる大音量のアナウンス
わたしたちの住むマンションは、千歳船橋の駅前からつづく賑やかな商店街の先にあった。
巨大なスピーカーからは、いつも大音量で同じフレーズのアナウンスが流れていた。
パチンコスルナラ コクサイセンター✖️♾
スーパーミリオン スーパーミリオンデ ゴザイマス✖️♾
ひっきりなしに流れているので、なかば洗脳に近いかたちで覚えている。
いまでも、あのスピーカーは存在しているのだろうか。
国際センター(という名のパチンコ屋さん)とスーパーミリオンは、まだ営業しているだろうか。
ふたりのお気に入りだったお店ベスト3
仕事がオフの日。
Aちゃんとわたしが足しげく通った、大好きなお店をご紹介する。
① スーパー【シマダヤ】(現:オオゼキ)
駅前の一角を占めるおしゃれなビル、スーパーシマダヤ。
いまでは「オオゼキ」という名前になっているようだが、わたしたちはここの常連だった。
ほかのスーパーとは違って、舶来の食品や日用雑貨が、ところ狭しと並んでいた。
明治屋や紀伊國屋を彷彿とさせる品揃え。
スーパーというよりは、デパートに近かったかも。
なぜなら。
そこにはエレベーターガールがいたからだ。
2階までしかない建物なのに、エレガですよ!
「2階へ参ります〜。2階、2階でございます〜。2階です〜。」
年齢不詳のエレベーターガールが、クセのある節で繰り返す。
(わかっている。わかっているとも。)
心のなかでそう呟いていたのは、わたしだけではなかったはずだ。
懐かしくなってググってみたら、なんと日本でいちばん初めにエレベーターを設置したスーパーだったという。
そんなに由緒あるスーパーだったなんて。
エレガは、古くからの伝統だったんだね。
② 夜でもランチの中華料理店 【ひろや】
実際の名前は「中華とランチの店 ひろや」
だが、夜でもランチメニューが注文できたため、ふたりで勝手にこう呼んでいた。
「お子様ランチ」にインスパイアされた?店主が、セットメニューのことを「ニラ玉ランチ」や「焼肉ランチ」と名づけたのではないかと推測している。
いちおう外資系で働いているわたしたち。
夜なのに「ランチ」とオーダーすることに、一抹の違和感を感じていた。
しかし、ここのお料理がまぁ〜〜〜絶品でしてね。
フライト明けにここを訪れるのが、楽しみで楽しみで。
20代前半の「飛び職」がふたり集まれば、そりゃーもう、食べる、食べる!!
Aちゃんはバレーボール選手並みの身長をしているし、わたしも小さいほうではない。
いつもジャージでふらっとやってくるわたしたち二人組を、日体大のスポーツ選手かなにかと勘違いしていたひとは少なくないと思う。
③ 間口五尺(体感)のカラオケボックス
そして、店の名前は忘れたが、行きつけのカラオケボックスがあった。
間口の狭い、こぢんまりとしたお店。
当時は、広瀬香美や華原朋美をはじめとする、小室ファミリーの歌が流行っていた。
キーがおそろしく高く「サビでエライことなるの分かってるのに歌ってしまう」という過ちを、なんども犯していた。
それは「ペヤング焼きそばの大盛りを食べたら、どうなるか分かってるのに食べる」という行為によく似ていた(伝われ)
マンションの築年数は勤続年数
先日、たまたまAちゃんと「ちとふな談義」に花が咲き、20数年ぶりに「ちとふなツアー」をしようということになった。
エレガはもういない。
定食だって、昔ほどの量は食べられない。
カラオケに行っても、いまどきの歌は歌えない。
でも。
わたしたちが青春のひと時を過ごした、たいせつな場所であることに変わりはない。
Aちゃんが調べたら、わたしたちの住んでいたマンションはまだ健在だそうだ。
あのとき新築だったから、
「築年数は、わたしたちの勤続年数とまったく同じだね」
そう言って、ふたりで笑った。
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