ミセスCAのオン&オフ日誌

🛫 空、タカラヅカ、英語、ときどきジュエリー 💍

千歳船橋 青春のかけらを置いてきた街

千歳船橋 青春のかけらを置いてきた街

 

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ふたり暮らしのいきさつ

 

いまの会社に採用が決まってすぐ。

東京で、約1週間の研修があった。

 

その後、本国での1ヶ月にわたる訓練を終え、東京に居を構えることになった。

 

同期6人のうち、地方出身者は、Aちゃんとわたしだけ。

 

あとの4人は成田空港まで通える距離に住んでいたため、家探しをしなければならないのは、わたしたち2人だけだった。 

 

だぁれも知らない東京。

いきなり一人暮らしをするのは心細い。 

 

それまでずっと親と一緒に住んでいたわたし。

ダメ元で、Aちゃんにお願いをしてみた。

 

「いっしょに住んでくれへん?」

 

「住まへん?」(提案)じゃなくて、「住んでくれへん?」(依頼)だ。

 

アメリカや香港で、すでにひとり暮らしの経験があったAちゃん。

 

最年少なのに自立していて、だれかといっしょに住む必要性はなかった。

 

だがAちゃんは、さほど考える様子もなく「ええよ」と言った。

 

Aちゃんの論はこうだ。 

 

最初は、なにかとお金がかかる。

家具や家電の費用を折半すればお金が浮くし、同じ家賃でもワンルームより2DKのほうが、いいところに住める。

 

さみしがりやのわたしと、しっかり者のAちゃんの利害が一致した。

 

頼りないわたしを放っておけないという、人助け的な感情も働いたのだと思う。

 

住む場所は、Aちゃんが指定した。

「知り合いのいる世田谷区に住みたい」と。

 

東京に何区あるのかさえ曖昧だったわたしにとっては、どこだって同じだった。

 

ただ「セタガヤ」といえば「ええとこ」のイメージがあったため、安心して首を縦に振った。 

 

こうして、ふたりの新生活(珍生活)がはじまった。

 

東京ではじめて住んだ思い出の街【千歳船橋】

 

小田急線・千歳船橋の駅から歩いて5分。

 

すぐそばの通りには、たいてい流しのタクシーが走っていたから、通勤には困らなかった。

 

困ったことといえば、エレベーターのない物件であるということ。

 

2階だとはいえ。

フライトのたび大きなスーツケースを持って階段を上り下りするのは大変だった。

 

当時のフライトパターンは、なんと10日以上も家を空けるものだったので、スーツケースが鉛のように重かったのだ。 

 

家電はすべて、新宿の「さくらや」で揃えた。

あんなに繁盛していたのに、ずいぶん前に閉店したみたいだ。 

 

小田急線の始点は新宿駅。

どこへ行くにも、この駅を拠点として行動していた。

 

Google Analytics先生によると、新宿には大阪と同じくらい拙ブログの読者がいらっしゃるそうなので、これもなにかのご縁かと思う。 

 

わたしたちの住むマンションは、千歳船橋の駅前からつづく賑やかな商店街の先にあった。

 

巨大なスピーカーからは、いつも大音量で同じフレーズのアナウンスが流れていた。

 

「パチンコスルナラ コクサイセンター 」

「スーパーミリオン スーパーミリオンデ ゴザイマス」

 

ひっきりなしに流れているので、なかば洗脳に近いかたちで覚えている。

 

いまでもあれは、存在しているのだろうか。 

 

国際センター(という名のパチンコ屋さん)とスーパーミリオンは、まだあるのだろうか。

 

ふたりのお気に入りだったお店

 

フライトのない日。

Aちゃんとわたしが足しげく通った、大好きなお店をご紹介する。

 

スーパー【シマダヤ】

 

いまでは「オオゼキ」という名前の店になっているようだが、わたしたちはここの常連だった。

 

ほかのスーパーとは違って、舶来の食品やおしゃれな日用雑貨が、ところ狭しと並んでいた。

 

スーパーというより、デパートに近かったかも。

 

なぜなら。

そこにはエレベーターガールがいたからだ。 

 

2階までしかないのに、エレガですよ!

 

「2階へ参ります〜。2階、2階でございます〜。2階です〜。」

 

年齢不詳のエレベーターガールが、クセのある節で繰り返す。

 

(わかっている。わかっているとも。)

 

心のなかでそう呟いていたのは、わたしだけではなかったはずだ。

 

懐かしくなってググってみたら、なんと日本でいちばん初めにエレベーターを設置したスーパーだったという。

 

そんなに由緒あるスーパーだったなんて。

エレガは、古くからの伝統だったんだね。

 

夜でもランチの中華料理店 【ひろや】

 

実際の名前は、「中華とランチの店 ひろや」

 

だが、夜でもランチメニューが注文できたため、ふたりで勝手にこう呼んでいた。

 

「お子様ランチ」にインスパイアされた?店主が、セットメニューのことを「ニラ玉ランチ」や「焼肉ランチ」と名づけたのではないかと推測している。

 

いちおう外資系で働いているわたしたち。

夜なのに「ランチ」とオーダーすることに、一抹の違和感を感じていた。

 

しかし、ここのお料理がまぁ〜〜〜絶品でしてね。

フライト明けにここを訪れるのが、楽しみで楽しみで。 

 

20代前半の「飛び職」がふたり集まれば、そりゃーもう、食べる、食べる!!

 

Aちゃんはバレーボール選手並みの身長をしているし、わたしも小さいほうではない。

 

いつもジャージでふらっとやってくるわたしたち二人組を、日体大のスポーツ選手かなにかと勘違いしていたひとは少なくないと思う。

 

某カラオケボックス

 

そして、店の名前は忘れたが、行きつけのカラオケボックスがあった。

 

間口の狭い、こぢんまりとしたお店。

 

当時は、広瀬香美や華原朋美をはじめとする、小室ファミリーの歌が流行っていた。 

 

キーがおそろしく高く、「サビでエライことなるの分かってるのに歌ってしまう」という過ちを、なんども犯していた。

 

それは、「ペヤング焼きそばの大盛りを食べたら、どうなるか分かってるのに食べる」という行為によく似ていた(伝われ)

 

マンションの築年数は勤続年数

 

先日、たまたまAちゃんと「ちとふな談義」に花が咲き、20数年ぶりに「ちとふなツアー」をしようということになった。

 

エレガはもういない。

定食だって、昔ほどの量は食べられない。

カラオケに行っても、いまどきの歌は歌えない。

 

でも。

わたしたちが青春のひと時を過ごした、たいせつな場所であることに変わりはない。

 

Aちゃんが調べたら、わたしたちの住んでいたマンションはまだ健在だそうだ。

 

あのとき新築だったから、

 

「築年数は、わたしたちの勤続年数とまったく同じだね」

 

そう言って、ふたりで笑った。 

 

 

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