ミセスCAのオン&オフ日誌

外資系CA /英会話講師 Vikiのブログ

アメリカ ホームステイで学んだもの【カリフォルニア・サンタクルーズで過ごした一か月】

アメリカ ホームステイで学んだもの

 

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はじめての海外体験

 

ときはバブル。

その泡がはじける日が、すぐそこまで近づいているなんて、だれも思わなかったころ。

皆がこぞって海外旅行に出かけ、ブランド物を買いあさっていた時代だ。

 

それまでは手の届かなかった留学も、ふつうの家の子女が行くようになった。

女子大生だったわたしは、当時の例にもれず、アメリカへホームステイすることになった。

 

事前に送られてきたステキなホストファミリーの写真が、これからはじまる未知の世界への扉を開いてゆく。

 

金色の長い髪に、青い目をしたホストマザーのベバリー。

栗色の巻き毛に、あごひげを蓄えたホストファーザーのリチャード。

そして、もしこの世にキューピッドがいるとしたら、きっとこんな姿に違いないと思わせる、美しいジェイコブ坊や。

 

わたしは深呼吸をして、まだ見ぬ遠い異国へと想いを馳せる。

 

旅立ちのとき

 

そうしてやってきた、出発の日。

いつも一緒にいた大学の仲良しグループが、伊丹空港まで見送りに来てくれた。

「がんばってね!」

「気をつけて!」

彼女らの声が、姿が、だんだん小さくなっていく。

 

それに反して、だんだん大きくなっていく期待。

夢と希望を胸に、わたしは海を渡った。 

 

だが、そこに待ち受けていたのは、想像していたのとはちょっと…

いや、大きく違った世界だった。

 

サンタクルーズでの生活

 

カリフォルニア中西部にある小さな町、サンタクルーズ。 

どこまでも青く広がる空、目を開けてはいられないほど眩い陽射し。

道行くコカコーラの巨大なトラック。

住宅街の通りで、悠々とスケートボードをする子供たち。 

思い描いていたとおりのアメリカが、そこにあった。  

これからはじまる一ヶ月間を思うと、胸がはち切れそうだった。

 

日本人大学生グループ数名が、近隣の家庭にそれぞれ一名からニ名ずつ振り分けられた。

近隣とはいえ、広いアメリカ。

ちょっくら歩いて友だちのステイ先まで…なんてことはできなかった。

 

生まれてはじめて、たったひとり。

見知らぬ土地で、見知らぬひとたちと暮らす生活。

それは非常にエキサイティングであり、同時に、並々ならぬ忍耐力を必要とする作業でもあった。

 

出迎えてくれた、新しい家族。

それまでの人生で、まったく縁のなかったひとたちに、これからひと月もの間お世話になるのだ。

カタコトの英語で、必死に会話をする。 

 

予定通りいかない 

 

二歳のジェイコブ坊やとご対面。

子ども好きなわたし。

これまでに会った子たちは、みんなわたしに懐いてくれた。

だから、この子ともきっとうまくやれる。

 

けれどその予想は、ものの見事に裏切られた。 

 

とつぜん家にやってきた、まっ黒い髪をした東洋人。

なぜだか、みんなが揃ってちやほやしている。

自分の地位を脅かす、ナゾの女A。

ジェイコブからしてみれば、煙たい存在でしかないわたし。

青い目が「ナンダコイツ」と言っている。

しょっぱなから、敵認定をされてしまった。 

ハグはおろか、まさかのベビーカーすら押させてもらえない。

 

 「No、No、No〜!」

 

ボキャブラリーが少ないがゆえ、彼の直接的な拒絶ワードは、ものすごい破壊力を持っていた。

彼はキューピッドではなかった。

わたしはときどき、ほんきで泣いた。

 

バリック家は、敬虔なバプティスト教信者だった。

客人であるわたしも、毎週水曜日にはバイブルスタディ(聖書の勉強会)、週末には教会へと、すべての宗教行事に参加させられた。 

バイブルスタディでは、神父さまのお説教を分かりやすい言葉で紙に書き出してくれた。  

 

かつて日本の英語教育においては、読み書きはできてもスピーキングやリスニングとなるとお手上げという学生がほとんどだった。

わたしも例に漏れず、受験英語しか学んでこなかったので、会話にはとても苦労したが、活字にしてもらうとガゼン理解力がアップした。

それを知っていたベバリーは、献身的という言葉がぴったりくるかたちで、わたしに神について伝えつづけた。

 

はじめは面白かったが、週の半分はジーザスについて考えなければならない生活。

お気楽な学生だったわたしは、しだいにその呪縛から逃れることばかり考えていた。

 

なにより困ったのは、カリフォルニアは水不足で、シャワーの使用を一日五分と制限されたことだ。

ものを大切にすることは、地球を大切にすることにつながる。

水の使用量を少なく抑えていることで、バリック家は州から表彰されていた。

しかし当時の流行りで腰まで伸ばしていた髪を洗うのに五分だなんて、どう考えたってありえないことだった。

 

バリック家は、絵に描いたような仲睦まじい家族だった。

ほぼ毎日のように、両親や兄弟たちが集まってくる。 

ビバリーとリチャードは、隙あらばキスを交わしていた。

まだ若かったわたしは、目のやり場に困ることがよくあった。

それを見るたび、日本にいるボーイフレンドのことを思い出し、さみしい気持ちになっていた。

 

番狂わせ

 

ある日のこと、

同じグループのホストファミリーが集まって、ホームパーティが行われることになった。 

会場は、バリック家とは違って贅を尽くした造りの豪邸。

見たこともないような、大きくて豪華な自宅用プール。

プールサイドに置かれた、派手なごちそうの数々。 

ハリウッド映画にそっくりそのまま出てきそうな光景に、わたしはすっかり舞い上がり、友達とふざけたり泳いだりして楽しんでいた。

 

しかし、まだ来てから一時間も経たないうちに、わたしのホストファミリーだけがおいとますると言いだした。

楽しい宴ははじまったばかりなのに、いったい何事かと思ったら。

そう、その日は水曜日。

バイブルスタディの日だったのだ。 

 

なかば引きずられるようにして会場を後にするわたしを、日本から来た仲間たちは心から気の毒そうに見送った。 

 

(どうしてわたしだけ…) 

 

抗議する英語力すら持ちあわせていなかったわたしは、すっかり無表情で黙りこくってしまった。

そんなわたしを、ベバリーは具合が悪くなったと思い込み、帰宅するやいなやベッドに横たわらせた。

 

(プールから上がって、シャワーも浴びていないのに!)

 

「かわいそうに、疲れているんだわ。今日はバイブルスタディをお休みして、ゆっくり寝たほうがいいわね。」 

 

どこも悪くはなかったけれど、ショックと悲しいのとで、布団から顔を出さなかった。 

遠い異国で、ひとりぼっち。

ベッドのなかでお留守番。

まだ濡れた髪が気持ち悪かったけれど、泣きながら疲れ果てて眠りについた。

 

愛と束縛のはざまで

 

「うちのホストファミリーは、好きなだけお風呂に入らせてくれるよ。」

 

同じ大学から来ていた友達が、お風呂好きのわたしを不憫に思って、彼女のステイ先に招待してくれた。

久しぶりに時間制限なく浴びることのできるシャワーは、恵の雨のようだった。 

 

その家のホストマザーがわたしのことを気に入り、その後もなにかにつけて誘ってくれるようになった。

ある日、ロサンゼルスまでショッピングに出かけるという、夢のような提案があった。

ブランド物にさほど興味のないバリック家では、決して連れて行ってはもらえまい。

わたしは、ふたつ返事で承諾した。

 

ロサンゼルス…その街の名を口にするだけで心が踊った。

目指すはビバリーヒルズ、ロデオドライブ。

女子大生の憧れブランド、シャネルやルイヴィトンが立ち並ぶ最高にオシャレなエリア。

 

「どこで何をする?」

 

嬉々として計画を立てているところに、訪問客が現れた。

玄関先には、いまにも泣き出しそうなベバリーの姿があった。

 

「帰りましょう。あなたは、わたしたちの家族なんだから。」 

 

頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。

またもや首根っこをつかまれ、母猫に連れ戻される、無力な自分を呪った。

 

神さまに導かれて

 

バリック家は、いつどこに行くのも一緒だった。

パーティにも、海にも、遊園地にも、小旅行にも。

かならずわたしを連れて行ってくれた。

なぜなら、わたしは家族だったから。

 

毎日すごく素敵なものをたくさん見せてもらっているのに、「wonderful」一辺倒な自分のボキャブラリーの貧しさを憂いた。 

英語力の足りなさを痛感している矢先に、その事件は起こった。

 

いつものようにバイブルスタディに向かうと、その日は少し勝手が違う。

神父さまのお話を授業形式で聞くのではなく、輪になって一人ずつスピーチをするスタイルのようだ。

 

テーマは、「自分の罪を神に告白することによって、救いの道へ進む」というものだった。

(わたしは部外者だし〜)と悠長に構えていたら、なんとわたしも懺悔するようにと言われたのだ。 

 

みんなの前で話せるほどの英語力もなければ、神にあやまることもない。

あるとしたら毎日思うぞんぶん、「神」ならぬ「髪」を洗いたいとひそかに願っていることくらいだ。

 

たくさんの目が、わたしを見ている。

遠い異国から来た、この娘がなにを言うのか。

息をひそめて、その瞬間を待っている。 

 

わたしはその雰囲気にいたたまれなくなって、思わず泣きだしてしまった。

するとその瞬間、だれかが叫んだ。 

 

「彼女は救われた!」

 

みんなわたしの涙が、神の啓示を受けたという意味にとらえたらしい。

代わる代わる、祝福のハグの嵐を受け、おめでとうという言葉のシャワーを浴びた。 

神については今でもよく分からないけれど、愛については身をもって学ぶことができた。

 

つながる過去と未来

 

そしてわたしは日本へ帰国した。  

その翌年、バブルがはじけた。

従来の価値観が、根底から覆される。

 

就職は氷河期元年と言われ、かんたんには内定がもらえない。

人が、世の中が変貌していくなか、変わらないものは何なのか、自問自答する日々がつづいた。

 

帰国してしばらくは、毎年クリスマスカードを送っていたのに、いつのまにか便りがとだえた。 

しかしわたしは、四半世紀という時を超えて、彼らと再会することになる。

 

二年ほど前に、フェイスブックをはじめたのだ。

もしかしたらと名前を検索し、友達申請をしたら、大喜びで返事が返ってきた。

 

あのころと同じ笑顔が、そこにはあった。

ジェイコブは成長し、結婚して新しい家族が増えている。

ときおり流れてくる、バイブルスタディのメンバーたちの近影。 

時代は変わっても、変わらないものがあると、時代を象徴するようなツールでもあるフェイスブックに教えられた。

 

いつかまた、サンタクルーズを訪れたい。

あの街には、あの教会には、いまも変わらぬ愛があふれていることだろう。

 

 

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